書評
「美の条例」著者:五十嵐敬喜法政大学教授
野口和雄((株)地域総合計画研究所)
池上修一(建築家)
1996年4月10日第一版第一刷 学芸出版社 ¥2,940
地方分権が進むと自治体では本格的に自主条例をつくることをせまられる。本書は神奈川県の真鶴町のまちづくり条例である「美の条例」の実験である。
なぜ、自治体は「まちづくり条例」などの自主条例をつくろうとするかであるが、土地利用の規制については、都市計画法がある。ところが、この都市計画法がかなりのザル法なのである。たとえば、福井県坂井郡の全部、松岡町は「嶺北北部都市計画区域」に含まれているが、用途地域(「色塗り」されており、住宅専用地域等の用途が指定されている既存の市街地)以外は「白地地域」として開発が想定されていない。しかし、こうした地域ほど規制が緩やかなので、ミニ開発が横行している。市街化区域と市街化調整区域とを区分する「線引き」が行なわれている「福井都市計画区域」のような場合には、開発許可のいらない「小規模」の開発行為は0.1ha未満であるが、「未線引き」の「嶺北北部都市計画区域」では0.3ha未満なのである。したがって0.3haぎりぎりのミニ開発が横行することになる。また、用途も指定されていないので、住宅地に隣接して突然産業廃棄物の中間処理施設などが出来たりする。また、トラックターミナルなどが計画され、団地住民の反対にあうケースも多い。もちろん、パチンコ店や商業施設などは無計画に造り放題といってよい。さらには、開発行為があちこちでバラバラに行われているので、道路は車で渋滞するし、交通事故は多発し(これまで、集落の人間しか使わなかった道に、団地が出来たことによって、大量の通過交通が発生する。)、また、河川が生活廃水によって汚れ(嶺北北部では九頭竜川流域下水道が建設中であるが、新しい開発行為区域にまでは対応していない。したがって住宅は単独浄化槽がほとんどであり、大量の生活廃水が用水や河川に流されることになる。)、大雨のときにはこれまで浸水しなかった地域でも浸水が起こるようになる。
そこで、こうした開発行為を自治体なりに規制しようと、全国各地で「住環境保全条例」「ラブホテル規制条例」「都市景観条例」「埋め立て規制条例」「まちづくり条例」など名称や対象・目的も異なるが、それぞれ自主条例がつくられているし、また、「指導要綱」で行政指導を行っている自治体も多々ある。ところが、国は建築基準法や都市計画法で十分であるとして、こうした、各自治体の動きを牽制している。また、司法も条例によるまちづくり行政に厳しい判断を下している。
本書で紹介されている真鶴町の「美の条例」はこうした国(国を代弁する機関委任事務を実際に行う神奈川県知事)・司法への「対抗案」であるとともに、どのような町が良いかを具体的につくってみる「実験」でもある。筆者の1人である法政大学の五十嵐教授は周知のように早くからアメリカの「成長管理の都市政策」を提唱しているが、本書の中核をなす考えは、クリストファー・アレクサンダー(カリフォルニア大学バークリー校教授・建築学)の「パタン・ランゲージー環境設計の手引き」の都市計画・建築への実際の適用である。
したがって、本書は大きく2部に分けられる。後半部分が「パタン・ランゲージー」理論の適用実験である。「真鶴町『まちづくり条例』は、人の生活やそれを取りまく場所、環境は『美』そのもでなくてはならない、という考えに基づいてつくられた。しかも単なる憲章などのマニフェストとしてではなく、条例という権力の構造の中心をなすものとしてつくられた。」のである。美という概念は百者百様であり、美についての本も山ほど出ている。それを、「条例」といく権力の根幹で規制しようと言うのであるから当然反発もある。本書でも紹介されているように、文明評論家の加藤周一氏は美について共通の性質を定義することはできないとして、美の個人主義を主張している。
これに対し本書は「建築には無制限個人主義は許されない」と主張する。「地域によってつくってもよいものと悪いものとがある…近所の人々の生活、道路交通,公園、上水、下水、学校といったインフラに影響を与える…自然やその他の環境からも制約を受ける」という。それを、『条例』で制限するには「『正当性』があるかどうかに尽きる…この『正当性』の問題は、守る利益と奪われる利益、制裁方法のバランス、他の代替手段などを総合して決められる」と主張する。
本書の中核を占める「パタン・ランゲージ」について、「アレグザンダーは『環境はパタンという実体からなる』とした上で、環境(地球、国、地域、都市、そして建築と施工)の中にどのようなパタンがあり、それがまたどのようにつながっているのかを研究してきた。…『パタン・ランゲージ』は単語と文章のようなものであり、これをつないでいくと、建物ができあがる」と説明している。ようするに「パタン」とは建築設計を行う人たちの「設計指針書」であり、「素人の建築、つまり誰でもが参加できる建築」だという。この「パタン・ランゲージ」の部分についてまだ輸入品であり、十分消化がされているとはいえず、説明の物足りなさを感じるが、新しい試みであり、実験としては非常に面白いものである。
本書では「実は、建物や町の良し悪しは客観的な問題である。それは健康であるか病んでいるか、全一的か分裂的か、自己保存的か自己破壊的かなどの差異である。健康で、全一性があり、生き生きとしていて、自己保存的な世界では、人間自体が生き生きとしていて、自己保存的な世界では、人間自体が生き生きとしていて自己創造的である。全一性に欠ける自己破壊的な世界では、人びとは生き生きとなりえず、人間自体が必然的に自己破壊的で不幸になる。」とアレグサンダーの「時を超えた建築の道」の一部を引用している。まちづくりの哲学が求められている。
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